なぜわたしは時がくるのを待てなかったのか(やりたいことが見つからなくて焦るのも同じ理由かしら)

少し前に、付き合っている人とこのまま付き合っていて良いのかわからなくなってしまいました。

理由はうまく説明できないけど、明らかなのは

・相手を嫌いになったわけではない

です。今思えば、良い意味でかなり落ち着いた付き合い方をしてきたから何か変化が欲しかったのかもしれないし、「ひとりになってみる」ことに憧れたのかもしれません。

そしてそのときわたしはなんとなくだけど、もう終わりにしなければ的な感覚に陥りつつも決定的な理由がないまま、何日かもやもやしていました。

今すぐはっきりしなければ!答えを出さなければ!と思っていたのです。

 

でも結局、母の「時がきたら自然とそうなるんだから、今すぐ無理に別れなくても良いんじゃない?」の一言で終わりにするのはやめました。

この言葉がわたしを救って(大袈裟だけどほんとにそう。)、逆になぜすぐに答えを出そうとしていたのか考えました。

それはとっても単純で、「今はなんでもすぐに答えが出せる時代だから」です。

・今日は雨降るかな~と思ったら外を見る前にネットで天気予報を調べる

・あの店美味しいかな~と思ったら食べログSNSで情報を得る

・論文の目次ってどう書くのかな~と思ったらすぐに友だちにLINEで聞く

とかとかとか。

考えるより先に、iphoneを手にとって答えを得られます。

きっと毎日そうやって生きているから、今回もすぐに答えを出そうと思ってしまったんだと思います。別に焦る必要なんかない(幸い彼はけっこう心が広い)のに。

普段は疑問に思ったことはすぐに解決できるから、今回もやもやを抱え込むことができなかったのかも。

 

そう考えると、わたしたち大学生が「やりたいことがなかなか見つけられない」と焦ったり悩んでしまうのも、早くやりたいことを見つけなきゃと思っているからな気がします。(もちろんそれだけが理由ではないけど)

「好きな人をつくる」という目標が不自然なのと同じで、「やりたいことを見つける」もなかなか難しいものだと思います。

いろんな人と会って、いろんなとこに行って、いろんなことを考えて、時がくれば見つかるんだと思います。

でも今は必要な情報をすぐに手に入れられるから、時がくるのを待つってとても難しくて、イライラしたり不安になったりするのかな。

 

 

ちなみにわたしもやりたいことは見つかっていません。!

時がくるのを待つだけ。

 

 

わたしがあの会社に落ちたワケ

こんなタイトルでブログを書くとは思ってもみなかったけど

こんな生き方もある を体現し続けたいと言っていたわりには綺麗事が多めだったので

今日は失敗談を書いてみる。

先日、わりと行きたいと思っていた会社から残念ながら意向に添えない結果と~~~という旨のメールが届いた。選考中から、ああこれはだめだなと思っていたのであまり落ち込むこともなく、さらっと流そうと思っていた。

でも、最近のわたしは楽しいことを見つけるのが得意になりすぎて、理不尽なこと、自分の努力不足でうまくいかなかったこととかを簡単に流しすぎている。薄々気付いてはいたけど、圧倒的に振り返り(反省)の時間が不足していて、人間としてなかなか次のステップに行けない。日々楽しくていつ死んでも良いとまで思えるようになったけど、実際なかなか死なない場合もあるので、そういうときのために次のステップにいけるようになっておきたい。……と思ってなんで落ちたのかを真剣に考えていた。

 

とてもシンプルにいうと答えは2つ。

①自分の中のイメージを言語化していかなかった。

これは面接中に気づいたことなのだけど、自分の中の働くイメージとかやりたいことがわりと明確だった故に勝手に自分だけで盛り上がって、それを言葉にのせて伝える努力を怠りすぎていた。私の場合、「これがやりたい」というのはずいぶん前からあったのにそれは感覚的に自分が理解しているだけで、言語化する必要を感じていなかったみたい。面接の相手に伝える手段はもちろん言葉だけなので、言語化できていなければ伝わるはずはないのに。反省。

当たり前じゃないか!と思うかもしれないけど、これが志望度の低い会社だったら「私はここで何ができる?」「何がしたい?」をまずは自分の中に落とし込むために時間をかけて考えて言語化しただろう。

あともうひとつ。

②ここじゃないとだめなんです という必死さに欠けていた。

冒頭で“わりと”行きたい会社と書いたことからもわかるかもしれないけど、就職活動をしていて、この会社じゃないとやだ!ここ以外では働けない!みたいな会社はなかった。とても雑な言い方をすれば、今のわたしは今後やりたいことを実現するための準備期間としてまずは社会に出てみたいと思っていて、その準備ができそうなところなら正直どこでも頑張れる気がしている。これたぶん賛否両論あると思うし、場合によっては社会や会社や就職活動をなめるなと怒ってくる人がいるかもしれないけど、今の素直な気持ちなので。

だからといってはなんだけど、たぶん就職活動自体を必死にできていないし、ここの会社でも必死に伝えることができなかった気がする。必死に入社の想いを伝えてくる人とそうでない人とだったら、やっぱり前者をとりたいよね。

必死になれなかったことについて良いか悪いか考えたとき、この会社に入るという目的を達成できなかったという意味では悪いかもしれないけど、どこにいっても頑張ろうと思えていることに気づけたという意味では良かったかもしれない。

 

なかなかいつも上手く言葉にできないのでどう伝わるかこわいけど、言語化する練習になると思うのでブログは続けたいと思います。

少なくとも今回は、いつもさらっと流してしまうようなことについて考えることができたのでよかったです。2つ以外にももっと違うワケがあると思うけど、それはあとでまた気づくでしょう。

 

しばらく実家に滞在します。

3年以上ひとり暮らしだったから、誰かと一緒に住むって難しいし面白いなあと感じているよ。

就職活動こそ直感が役立つ

短いGWが終わった。

わたしたちバイトをしている学生からすればGWはたいてい稼ぎどきなので休みをとらない人が多いみたい。

わたしもその中のひとりで、だいたい働いてた。


そして世の中的には今日、GW明け初日、またいつもの日々が始まってわたしは面接のため東京にいます。

まわりは早々と終わっていたり、やっと始まったりいろいろだけど、個人的にはなんとなく終わりが見えてきて、ずっと違和感があった日本の就職活動を振り返ってみたくなった。

何においてもわりと振り返りは大事なので。


以下、地方(新潟)から東京に出る形で活動していて気づいたこと。

①就活中心の生活をとらなければ、イメージより楽しい。

鬱になるとか、死にたくなるとか聞いていて、始まる前は全然乗り気じゃなかったけど、渦中に入ってしまえば楽しい。正しくは、渦中に入らず生活の中に新しく就活というものがちらっと入ってきたって感じだったけど。

わたしの場合、就活のための貯金をしていなかったのでバイトは続けたし、好きなものを我慢して生活するのは苦手だからライブ見たりライブ出たりも続けたし、お世話になっている本屋に通い続けたり朝活の開催も変わらずやっていた。翌日が面接だろうが、お酒を飲みたいときは飲んでいた。

一部の人からは不真面目だと非難されるかもしれないけど、これが自分のスタイルだったので、なんとなくそれで受け入れてくれる企業だけが残っていった。


リクルートスーツは友達作りのツールにはなるけどそれ以外はあまり役に立たない。

就活を始めたばかりのころ、リクルートスーツを着ていればほぼ100%就活生だということに気づき(当たり前)新宿のカフェでリクスー(と呼ばれている)を着ている人に話しかけて友達をつくっていた。

交通費かけて都内まで来て、ひとりも友達ができないなんてもったいないと思ってたから、リクスー着てれば怪しまれずに話しかけられることに気づいたときは嬉しかった。

でもそれ以外はわたしてきにリクスーの良さはたぶんない。モチベーションが高まるわけでもテンションがあがるわけでもない。


③結局直感というか感覚

いい企業ってよく言うし、じゃあいい企業って何?もよく聞くけど、結局は自分の直感を信じるのがわりと良いと思う。

ナビを見ててなんとなくピンときたところ、友達が教えてくれて印象に残ったところ…うまく言語化できないけど、21年間生きてきてなんとなく良さそうってのは自分にしかわからないから、直感というか感覚は頼っていい気がする。

むしろ、頼れるのはそれくらい。

わたしの場合は、感覚的にいいなって思ったところが残っていった。逆に事業内容にめちゃくちゃ共感できても、なんとなくこの人とは合わなそうと思う人がいたところは絶対先に進まなかった。この人と仕事するイメージ持てないなってところも絶対先に進まなかった。絶対。



ブログ書き慣れてなさすぎて長いので今日はここまで。地方から東京について特筆してなくて恥ずかしいけど終わります。


寒いけど良い日になりますように。

火のある暮らし

先日、新潟の巻でお祭りのお手伝いをさせていただく機会がありました。

千葉のわりと東京寄りで育った私にとって、地域のお父さんたちが創り上げるそのお祭りに参加できるということは、

喜び以外のなにものでもない!!!

という感じでした。


毎年、春と夏に開催しているらしく、今回は焼きそば、もつ煮、焼き鳥、クレープなどなどが準備されました。わたしはクレープ屋さん!!!

子どもたちはもちろん、大人の方もたくさん来てくれて、あったかい地域だなあと思いました。

お客さんは赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで!


きっとそこの人たちにとっては当たり前なんでしょうけど、私からすればその光景はとても豊かでした。


これからはそういう豊かさを求めて地方に住む人が増える気がします。

わたしもそうしたいもん。



そして、さらに豊かだと思ったことが。

夜、民家に泊まったのですが、女子4人で囲炉裏を囲みながらお祭りでいただいたお酒を飲んだり焼きそばを食べたりして、その時間がとてもよかったのです。

囲炉裏の火って常にかわっていくからそれを見ているだけでもわくわくするし、何より安心感がありました。

皆が寝たあとも、ひとりで囲炉裏の前に座って熱いお茶を飲みながらぼーっとしてたんだけど、それはそれは優しい時間でした。


これからオール電化の家が増えていくかもしれないけど、火を見れない生活ってなんだか不安だなと思います。

せめて、料理をするときはガスコンロを使いたいなあ。

贅沢を言えば、薪ストーブがある暮らしをしてみたいです。


ちなみに巻のお祭りには夏も参加しようと思っています。

学生の皆さまぜひ一緒に行きましょー!





こんな生き方もある を体現したい

春になったのでブログを新調した。


最近は新潟でアルバイトをしたり東京で就活をしたり、卒業式や入学式で学生歌の伴奏をさせてもらったり働き方研究所や就活カフェを通して自分の将来に想いをはせたりしている。


それらと時を同じくして何本も都内にライブを見に行ったり南房総旅行をしたり好きな人とごはんを食べたりお酒を飲んだりしている。


明日死ぬかもしれない

と思って行動を選択していたらこんな風になってしまった。


こんな感じで生きていて気がついたことは、

①苦しくなくても生きていていいということ

若いときの苦労は買ってでもしろ

とか言うけど、苦労すること自体にあまり意味はない気がする。もちろんその言葉も苦労を乗り越える過程で得られるものは格別ですよということなのかもしれないけど、就活中に挫折経験がないことを嘆いたり、成長したいから辛くて苦しい思いをしなくちゃと考えるのはナンセンスな気がする。

だって楽しくても生きていけるもの。というか、せっかくなら楽しく生きていきたいもの!


②こんな生き方もある を体現し続けたいということ

若いときから才能を開花させて自分とは全く違う人生を歩んできた人の話とか、同じ大学生だけどちょー賢くてもうビジネスしてる人の話とかって、話題としてはおもしろいけど、自分の心に入ってこない。少なくともわたしはああ無理、とすぐ壁をつくってしまう悪しき臆病者なので、その人たちの話を聞くとむしろ元気がなくなったりする。

大切なのは 

・自分にもできそう

・なんかそういうことやってみたい

この感覚な気がしていて、これらを与えてくれるのって、同じフィールドにいる人だったりするのではないかしらと。

そう考えると、わたしはふつーの大学生としてだれにでもできそうなちょっとおもしろいことをし続けて、こんな生き方もありです を体現したい。

最近のわたしは人に大きな影響を与えたいという欲がどんどんなくなって、なにかしらの小さいきっかけをだれかの手の届くところにそっと置いておきたいと思っているので、大学生活あと1年はそんなふうに細々と小さな種をとばしていきたい。



だからブログを始めたのですたぶん。


今日は少し曇ってるけど、電車から桜を見つけるのがほんとにすき。