わたしがあの会社に落ちたワケ

こんなタイトルでブログを書くとは思ってもみなかったけど

こんな生き方もある を体現し続けたいと言っていたわりには綺麗事が多めだったので

今日は失敗談を書いてみる。

先日、わりと行きたいと思っていた会社から残念ながら意向に添えない結果と~~~という旨のメールが届いた。選考中から、ああこれはだめだなと思っていたのであまり落ち込むこともなく、さらっと流そうと思っていた。

でも、最近のわたしは楽しいことを見つけるのが得意になりすぎて、理不尽なこと、自分の努力不足でうまくいかなかったこととかを簡単に流しすぎている。薄々気付いてはいたけど、圧倒的に振り返り(反省)の時間が不足していて、人間としてなかなか次のステップに行けない。日々楽しくていつ死んでも良いとまで思えるようになったけど、実際なかなか死なない場合もあるので、そういうときのために次のステップにいけるようになっておきたい。……と思ってなんで落ちたのかを真剣に考えていた。

 

とてもシンプルにいうと答えは2つ。

①自分の中のイメージを言語化していかなかった。

これは面接中に気づいたことなのだけど、自分の中の働くイメージとかやりたいことがわりと明確だった故に勝手に自分だけで盛り上がって、それを言葉にのせて伝える努力を怠りすぎていた。私の場合、「これがやりたい」というのはずいぶん前からあったのにそれは感覚的に自分が理解しているだけで、言語化する必要を感じていなかったみたい。面接の相手に伝える手段はもちろん言葉だけなので、言語化できていなければ伝わるはずはないのに。反省。

当たり前じゃないか!と思うかもしれないけど、これが志望度の低い会社だったら「私はここで何ができる?」「何がしたい?」をまずは自分の中に落とし込むために時間をかけて考えて言語化しただろう。

あともうひとつ。

②ここじゃないとだめなんです という必死さに欠けていた。

冒頭で“わりと”行きたい会社と書いたことからもわかるかもしれないけど、就職活動をしていて、この会社じゃないとやだ!ここ以外では働けない!みたいな会社はなかった。とても雑な言い方をすれば、今のわたしは今後やりたいことを実現するための準備期間としてまずは社会に出てみたいと思っていて、その準備ができそうなところなら正直どこでも頑張れる気がしている。これたぶん賛否両論あると思うし、場合によっては社会や会社や就職活動をなめるなと怒ってくる人がいるかもしれないけど、今の素直な気持ちなので。

だからといってはなんだけど、たぶん就職活動自体を必死にできていないし、ここの会社でも必死に伝えることができなかった気がする。必死に入社の想いを伝えてくる人とそうでない人とだったら、やっぱり前者をとりたいよね。

必死になれなかったことについて良いか悪いか考えたとき、この会社に入るという目的を達成できなかったという意味では悪いかもしれないけど、どこにいっても頑張ろうと思えていることに気づけたという意味では良かったかもしれない。

 

なかなかいつも上手く言葉にできないのでどう伝わるかこわいけど、言語化する練習になると思うのでブログは続けたいと思います。

少なくとも今回は、いつもさらっと流してしまうようなことについて考えることができたのでよかったです。2つ以外にももっと違うワケがあると思うけど、それはあとでまた気づくでしょう。

 

しばらく実家に滞在します。

3年以上ひとり暮らしだったから、誰かと一緒に住むって難しいし面白いなあと感じているよ。